「作品64-K」
作品64‐K

「作品64-K」
1964年4月
91.0x91.3cm
1964年「第3回国際青年美術家展」ヨーロッパ・日本展(西武百貨店・SSホール)

■1965年10月「小野田實」個展案内状~ダイワ俊鋭作家シリーズ

「マクロとミクロ」
 

谷間から這い上がって丘陵を越え、なだらかな平原へ、そしてまたはるかな峡谷へと、「マル」の足跡はドラマチックな起伏にみちた地表を延々と侵しつづける。正確な歩幅と不変の速度を持って踏みしめられてゆくその丹念な歩みは、少しづつ、少しづつ体験の領域をおしひろげながら、統一された思考と行為の軌跡を、鮮やかなパースペクティブで描いてみせる。忍耐にみちたその無限の繰り返しのなかに人生の現実を見ることは余りに文学的すぎるかもしれないが、原色の交響にいろどられた快活な世界の内部には、あの冥界のシジフォスの永遠不断の作業にも似たトラジックな行為も累積を見ることができる。事実、これまでの小野田の画面には文学を匂わせる状況設定がありすぎたことは否定できない。しかし、その背後には、現実の矛盾相剋をエネルギーと化し、その不条理を不条理のまま直視することによって、普通のレアリティへと迫ろうとする意識が秘められていることを知らねばならない。創造行為におけるその確認がひとつひとつの画面を生みおとしていく。そこには行為と思考、絵画を生きること、この一致を指向する強い意志が働いている。絶え間ない無為の連続のなかにおけるシジフォスの「自由」を、小野田もまた求めて止まないのであろうか。その近作は明らかな変貌を示しはじめている。対極主義的なその視点は画面上の徒らな文学臭を払拭しながら、より高い次元へと飛翔し、余剰を排したより明晰な表現のなかにコスミックな内容を示しはじめている。かつて谷間から丘陵へと注がれたその眼は、ミクロとマクロの間の厖大な距離を一瞬のうちにかけめぐろうとしているかのようだ。

赤根和生(美術評論家)
 
■1965年4月「小野田實個展」案内状~山陽百貨店

小野田實の仕事は最近とみに内面化されるとともに表現に密度が加わってきた。カラリとした原色の交響を反射してくるグラフィックな明快さと、ぬめりとしたなま温かい生体的な触感とが奇妙に混和されたある種の実在感が画面にみなぎっていて、見るものの目を幻惑する。
 まるで顕微鏡下の生体組織のようなその微視的なイメージが、不思議と豊かな空間のふくらみを現出しているのも彼の作品の特徴だ。
 これらのユニークな近作は、これまでの彼の仕事を一貫した追求の帰結としてひとつのピークをなすものだろう。それだけに今までには見られない完成度が認められる。
 この完成された技法とスタイルに支えられた領域では、まるで細胞分裂のように無限のヴァリエーションが産れ得るだろうが、彼はむしろそうした自然増殖に身を任せてはいけないのだ。画面に孕まれたその有機的秩序をひとつの抵抗体として、もっともっと原形質的なヴィジョンの鉱脈を掘り下げてゆかねばならないことは、彼自身痛惑しているにちがいない。
 その意味ではこの個展は輝かしいピークであるとともに、彼にとって新らしい出発の宣言でもあることをわたしは祝福したいと思う。
                                
赤根和生(美術評論家)                
【2007/03/19 01:58】 | [3]WORKS1962-1966 | page top↑
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